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カナダへ高校留学に送り出す母ちゃん奮戦記 その1             勉強嫌いな子供でも、海外高校留学は可能なのか?

こういう仕事をしていると、留学は身近である。自分自身も20代と30代と2回留学している。それでも、もっと早く、10代で行ってみたかった。そうしたら、私の人生は変わっていただろうなあ。と思うことがある。

私が幼い頃、「兼高かおる世界の旅」というテレビ番組があり、兼高さんは何か国もしゃべることができる憧れの人だった。しかし、当時、田舎に住んでいた高校生にとって留学はあまりに遠い存在だった。今ほど周りに外国人はいない。ネットフリックスもないので海外の学園生活ストーリーを見ることもない。英語はしゃべってみたいけれど、学校の勉強でしゃべれるようになるとは到底思えない、まして兼高さんのように数カ国語もしぇべれる人は宇宙人?と思った。マインドは日本一辺倒。留学は王道ではなく、日本の大学受験を回避する逃げ道と感じていた。そんなわけでちょっと成績がよかった私は海外へのあこがれは封印し、受験の道へまっしぐらとなった。

大学に入ってから、まずは交換留学という形でスタンフォード大学に遊学するするチャンスがあった。そこで私は多いにショックを受ける。帰国子女の存在である。同じ日本人でも英語を使いこなし、英語の冗談が理解できる。その英語力は簡単に手に入るマジックではなく、彼らなりに大変な時期を通りこした結果であるということはわかっているが、私よりも知識をもった人というイメージがあった。会社に入ってもマインドは解かれなかった。私の英語で海外事業部が勤まるのかなあ?自分の主張を通すのはどうなのかな?と思いドメスティックの部署を希望した。それから仕事には何の不満はなかったが、やっぱり海外に住みたいという気持ちが強まり、30代に入り、退職金を使って留学をすることにした。さすがにまわりは驚いた。

そんな四半世紀前の思いがあり、自分の息子も当然どこかで海外に行くのだろうと思っていた。年少の時からスクール見学を兼ねて毎年サマースクールには連れていった。なので、海外は決して遠い存在ではないと思う。子供の教育のために母子での留学が流行っているが、私の仕事ではなかなか日本を留守にすることはできない。中学受験時期も一つのチャンスではあったが、コロナの時期と重なり、かつ男の子ならではの幼さでボーディングに行かせる決心はできなかった。そして、今中3。高校留学こそ、実現してもらいたい。

中学3年になり、学校のみんなは勉強を始めたようだ。その中で、恥ずかしながら、うちの息子の成績は上がらない。中学3年の1学期の内申が重要だと言われていたのに、結局史上最低な成績をたたき出してきた。こんな状態なので、夫は「日本で頑張れないやつが海外に行ってどうする。俺は一切金はださないからな。留学させたいのなら、お前が全部出せ」と、いきなり無理難題が降ってきた。言っていることはごもっとも。息子も学校の成績を上げて、その上で留学させてくれと言ってくれれば、まるく収まったものの、本人は「カナダの高校は受験がないっていってたよ。」という始末。益々夫はヒートアップ。勝手に行け!と言われ、夫の援助は金銭面はおろか申し込み手続きでもすべて消えた。

というわけで、私が払える範囲、彼の学力で行けるところとなると、留学フェアでいいなあと思ったアメリカや、昨年訪問してきたイギリスの線は消え、カナダ・ニュージーランド・オーストラリア・マレーシア・タイに絞りこまれ、その中でボーディングがある学校で本人が気にいったところということで、今回のupper canada に決定した。

日本の高校は1年生からまた大学受験というレールの上を走れと尻を叩いていかないといけないと聞く。息子のお勉強嫌いは変わらないと思うので、今まで日本で考えられていたいい大学に行って、いい会社に入りなさいという日本式エリートにはなれないと思う。まあ、なれなくてもいい。このルートは優秀な従業員を育て上げる道だから。息子には勉強とは別の真の賢さを磨いてもらいたい。自分でやりたいことを見つけて、自分と周りの幸福のために稼げる子になってもらいたい。違う世界に若いうちから入り、誰とでもコミュニケーションがとれる度胸を養い、失敗さえも自分の価値にできる子になってほしい。留学で、彼の好奇心がどこへ向かうのか、みてみたいと思っている。

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この記事を書いた人

三軒茶屋インターナショナルスクール(略 3cha)は、三軒茶屋駅から徒歩7分の場所にある120名ほどの生徒さんが通う小さなスクールです。

”遊びながら英語に慣れる”のではなく、きちんと英語を勉強する。
読み書き中心の英語ではなく、生きた英語を身に着ける。

そんなスクールを目指して、代表の和田が2013年に立ち上げました。

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